Philosophy

ノングリッドは、人々の生活や心が豊かになっていくように、新しいイイコトを生み出し、育て広げていく“CREATIVE FARM”。企業や社会が抱える課題は、より豊かな未来へ向かうためのタネでもあるはず。私たちはそのタネに、真剣さと遊び心を注ぎ、変化する時代に合わせて軽やかに発想を変え、時に果敢なジャンプをして、心弾むクリエイティブを世の中に送り出していきます。

Creator Partnership

ノングリッドは、多ジャンルかつグローバルに、シーンの一線で活躍するクリエイターとパートナーシップを結んでいます。さまざまなジャンルのクリエイターとともに互いの可能性を引き出し合いながら、社会へと広く伝播するクリエイションの提供を目指しています。

Artist
Designer
Fashion Director
Photographer
Videographer
Copy Writer
Illustrator
more

Company Information

COMPANY

株式会社ノングリッド(NON-GRID INC.)

REPRESENTATIVE

小池 博史

FOUDEND

2000年4月30日

TEL / FAX

03-5428-8686 / 03-5428-8685

CAPITAL

10,000,000 円

SERVICES

BRAND DESIGN

  • ストラテジープランニング
  • デザインディレクション
  • アートディレクション
  • ヴィジュアルアイデンティティ
  • ウェブデザイン
  • など

COMMUNICATION DESIGN

  • コンテンツプランニング
  • エクスペリエンスデザイン
  • ウェブプロモーション
  • デジタルインスタレーション
  • セールスプロモーション
  • など

Why Juice?

  • 店舗販売
  • OEM
  • 法人取引
  • 店舗運営サポート
  • ウェブデザイン
  • など

Why SDGs ?

  • フードロスやゴミ削減
  • 環境や健康の啓蒙と教育
  • 地方創生サポート
  • 農園体験イベント
  • など

Client

  • Audi
  • APeCA
  • インフキュリオン
  • VALENTINO
  • 宇宙カンパニー
  • K2ジャパン
  • Cartier
  • GUCCI
  • KEN OKUYAMA DESIGN
  • THE ROYAL PARK CANVAS
  • SARU INTERNATIONAL
  • CG-ARTS
  • 渋谷区
  • CHANEL
  • 自遊人
  • JUN
  • 宗玄酒造
  • DESIGNART
  • 富山県西部観光社 水と匠
  • ニトリパブリック
  • PARK HYATT TOKYO
  • パーソルホールディングス
  • 白馬村振興公社
  • ポーラ
  • 星野リゾート
  • Louis Vuitton Japan
  • 50音順、敬称略

Hiroshi Koike a.k.a hk 小池 博史

CEO / Communication Director

福島県郡山市生まれ。青春時代はバイクが校内を走るヤンキー文化全盛期、スリルとカッコ良さから傾きかけたが軌道修正、田舎から抜け出したいと高2から奮起し猛勉強。公害や食品添加物が社会問題になるなか食の仕事に携わりたいと、日本大学農獣医学部食品工学科に入学。志望理由は半分ホントで半分は上京したい一心であった。東京に憧れるも1年目は神奈川県藤沢市という地元の郡山とさほど変わらないヤンキー文化が色濃く残る街に住み始める。大学2年で東京校舎になり晴れてシティライフをエンジョイだ!と心踊ったが、三軒茶屋の風呂なしトイレ共同アパートには男子同級生や剣道部の先輩が毎晩押し寄せ、その願いは崩れ去った。
そんな暑苦しい大学を卒業し、1990年に(株)そごうに入社。多摩そごうに配属され食品とインテリアを経験。入社してすぐバブルが崩壊し何も売れない時代、お客様を呼び込むため仕事終わりに毎晩チラシのポスティングをしていた。非常にレスポンスが悪い営業、しかし他のアイデアもなく心が病んでいた1993年、家電売場のMacintosh LCにふと目が止まった。何物かも分からないのになぜあの時「これなんですか?」と聞いたのか。あの時聞いていなかったら今の自分はなかったかもしれない。この小さな箱でパソコン通信やインターネットを使い世界中と繋がり新しいコミュニケーションが生まれると知り、未知の可能性を感じた。…チラシから逃げたい一心だったかもしれない(笑)。当時100万円以上したパソコンを3年ローンで購入、独学で百貨店のホームページを作ったりと、水を得た魚のように新しい世界に没頭していった。その後転職したデザイン専門学校でテレアポなど入学営業をしながら広告や販促物、ウェブなど制作ディレクションを経験し、2000年にノングリッドを設立。デザインに携われるまでかなり遠い道のりであったが、販売や営業などお客様とのダイレクトなコミュニケーションに関われた経験は今も生きており、そこが自分の持ち味だと思っている。自分たちの生活や社会が明るく健康に暮らせるデザインが日々の関心ごとであり、自分の使命。
好きなことは家族と音楽とお酒と登山とスキー。

Yutaka Kondo 近藤 豊

COO / Producer

主なプロジェクト:
GUCCI HANAMI
YOYOGI CANDLE 2020
Infcurion
Aoki Tokyo | アオキ トーキョー

1986年東京生まれ。CM制作プロデューサーの父と専業主婦の母、9歳離れた兄のいる次男として育つ。幼少期から音楽好きで、家にあったピアノ、ギター、ベースなどを触り出した小学生に、ラッパーの兄は様々な音楽やカルチャーを叩き込むのであった。当時はオリジナルのプレイリストをカセットテープにダビングしたり、暗記したオリコンランキングをもとに友人らにクイズ形式で情報をお届けするという気味の悪い遊びを日課にしていた。
中学校にあがるとオシャレな友人ができ、毎月たくさんの雑誌を読んで学習しては、原宿などに出かけてうろちょろしだす。この頃からファッションや音楽と同じくらいの熱量で日本映画にのめり込み、石井克人氏や中野裕之氏、岩井俊二氏らの世界観に憧れ、映像の仕事を志す。そうして映像の専門学校に入学するも「アレ、なんか違う」という状況に陥りモヤつく。
専門学生時代からDJを始めクラブ活動に没頭、交友関係からとある音楽メディアで映像コンテンツの制作を担当できることになり就職。映像制作をしながらウェブ制作も学び始め、刺激的な社会人生活を送りつつも、クラブ活動がより本格化し様々な海外アーティストを招聘したイベントオーガナイズも手掛けるようになる。とにかく遊ぶ。
そして数年が経ち、ウェブ制作をより突き詰めていきたいと転職を決意。ウェブデザイナーとして数年働くも、企画から携わりモノづくりを遂行していくディレクター職の方が向いていると思い、広告制作会社へ転職すると同時にディレクターへコンバート。ナショナルクライアントなどの案件を多く経験しその後プロデューサーへ。2014年頃に代表の小池と酒場で出会い、新卒で入社した音楽メディアのサイト制作、転職先のロゴ開発やサイト制作など、過去自分が関わってきた会社の多くのクリエイティブ制作をノングリッドがしていたことを知り、驚きとご縁を感じる。その後招かれたホームパーティーでDJの選曲を認められ、2015年ノングリッド入社。
ノングリッドではジャンルを問わずウェブやインスタレーションを中心に様々なプロジェクトを担当している。

Tadahiro Gunji 軍司 匡寛

Visual Artist / Design Director

主なプロジェクト:
Why Juice?
うちゅうブルーイング
世界のはたらくWell-being
宗玄酒造

福井県生まれ埼玉県育ち。三兄弟の真ん中。父はテレビ業界、母は主婦兼パートだった。お絵描きが大好きな少年は、漫画やアニメ、ゲームに夢中になる。愛用のゲーム機はメガドライブ、クラスでたった1人だった。この時点ですでに王道からズレ始める。小学校時代、オリジナル長編RPGの設定資料を大学ノートに数冊描きだす謎の使命に没頭。画力向上。中学はバスケ部に入るも怪我で休部。勉学に興味を見出せず、そこそこの進学校であった高校では赤点続き。答えが一極集中しない芸術の道が気になるように。所属していた軽音部のライブでダイブし、首を捻挫し救急搬送、入院中漠然と将来を見据え、美大進学を志す。この頃から頭の中はアート、デザイン、漫画、ファッションに。今でも知識は8割漫画から得たと思っている。その後東京藝術大学を目指すも、一浪。友人には恵まれた。万を期して東京藝術大学デザイン科へ入学後はスケボーとアニメーション制作に没頭。卒業制作のアニメーションが憧れであった海外の映像祭に選ばれ上映。海外への思いを胸に抱くも、デザイン会社へ就職。どっぷりデザイン業界を堪能するも、燻っていた海外生活、自分のクリエイティブの原点を深めたく退社。代表の小池と出会い、遊び心と仕事のスタイルに感銘し、2013年ノングリッドへ。2014年にはNYへ留学し、訪れた美術館Dia Beaconに触発され、アーティストとして作品制作に没我。2017年にアートの探究、実子の教育のためNYに移住。遠隔で様々なプロジェクトに参加しつつ、海外のプロジェクトにも参加、またアーティストとしての作品も定期的に発表し続けている。近年はLAのギャラリーTAPPANにも所属。コロナ以降、バスケ、テニス、フリスビー、釣り、キャンプ、ギター、読書、NBA観戦など広く浅く色んな趣味に手を出し始める。この頃からSNSに懐疑的な思いを抱き、 NBA以外ほとんど見なくなる。好きな漫画は「ブッダ」「火の鳥」「風の谷のナウシカ」「プラネテス」「寄生獣」、藤本タツキ作品、「へうげもの」など。影響を受けた本は「人新生の資本論」「アドラー心理学」。
「デザインで、人々の欲望を不必要に喚起することではなく、人の考え方や発想を涵養すること」これが命題となり、日々暗中模索中。

Yuri Hirai 平井 友梨

Producer

主なプロジェクト:
まぬけスペシャルサイト
ONSEN CULTURE CULTURE
BRING Material

神奈川県横浜市の森の方育ち。神奈川は広いので分かりやすいかと思い「横浜出身」と答えていたが、近年disられるので「横浜の森の方」と言うと面倒がないことに気がついた。家族構成は植物画を描いているユルめの母と、山登りとマラソンが趣味の鉄人の父と自身の3人家族。幼い頃からの鉄人のスパルタ教育のおかげで、長めの反抗期を未だ患っているが、お絵かき教室、水泳、書道、ピアノ、ダンスなど数々の習い事をさせてもらうなど、一人っ子の特権をフル活用した結果、運動以外のことはなんとなく大体できる器用貧乏な人間に育った。また父の教えである「まずは自分で辞書でも引いて調べろ」という教えの元、とりあえず調べて知識を貯める癖があるため、謎に引き出しが多い。
小学生の頃からの夢だったファッションデザイナーになるべく、一族からの大学進学の勧めを華麗に蹴り服飾専門学校へ入学。日々の膨大な課題の傍ら、ショーで使用する映像制作を担当し、それに没頭しすぎた結果、就職活動もろくにせず卒業。その後一旦販売員でもやってみるかとアパレル企業にバイトで入社。1年半後社員になったが、その後なんだかんだでブランドのプロモーション職へ。大先輩からのご指導の元、カタログ制作や、WEBサイト運営、ラッパーやyoutuberとコラボ企画したりと、だいぶ好きにやらせていただいたが、さらにステップアップしたくなり、ダメ元で某代理店のデジタルエージェンシーに応募したところ、見事入社。WEBディレクターとしてバリバリ働くことに。人にも恵まれ、充実した広告会社ライフを謳歌していたが、もっとカルチャーをクリエイティブしたくなり、2022年ノングリッドへプロデューサーとして入社。
趣味は映画、本、漫画、絵とカルチャー系全般、正直趣味かと言われると微妙。でも何より良い音楽と美味しいご飯とお酒を嗜むことが人生の最重要事項。そのうち何かお酒に関わる仕事がしたいと思っていたが、現在ひょんなことからスナックで手伝いをしている。ちなみにノングリッドでも何かできないかと妄想中。ゆくゆくはアジアを感じるあったかい島で美味しいアテとお酒を飲みながら踊って暮らしたい。

Kazutaka Okuno 奥野 一孝

Director

主なプロジェクト:
GUCCI HANAMI
Infcurion
松本十帖・ALPS TABLE
温泉山荘 だいこんの花

岩手県釜石市生まれ、花巻温泉街の民藝店にて育つ。幼少期からものづくりの環境が身近にあり、ハサミや筆を持ち何かしら作っていた記憶がある。絵を嗜む祖母の影響で、絵画図工のコンテストではよく入選していた。都会に住む歳の離れた親戚の影響で、幼い頃からファッションや音楽に興味をもち都会への憧れを持つ。都会へ出るなら進学校へ行かねばと、家庭教師をつけ塾にも通い猛勉強の末進学するが、希望校に入れたことで満足し、だらけてしまい進学校のお荷物になる。進路や現状に煮詰まって高校2年生の時に東京へ家出、たまたま表参道で個展をしていた美大生に出会い、美術やものづくりに興味があることを再確認し、美大進学を目指すが、仙台の美大予備校にて他生徒との実力・センスの差を思い知りことになり、見事受験に失敗、1年浪人する。入学と共に上京、大学デビュー。他大学、専攻に関係なく授業に潜り込み、広く浅く多くを学ぶが、人と違うことが正だという典型的な美大生あるあるに陥る。当時、悪名高きラグビー部の先輩から紹介されたアルバイトで、地下鉄の電気工事、アスレチックの設営など、思っていたのと違う肉体系のハードな現場作業を経験。現在のディレクター職での現場の関係づくりに大いに役立っている。
卒業後ウェブ制作会社でデザイナーとしてインターンをしている間に、友人の誘いで未発展だった葬儀業界で骨壺のデザイン開発をおこない実績を積む。試作などで当時流行っていたデジタルファブリケーションの現場やメーカーのアイディアソンに参加するなど社外活動を盛んにおこなう。その後、商品開発やプロダクトデザイナー職を転々とし、需要を優先した低コスト・大量生産の商品開発に病み、以前から興味のあったノングリッドへ2018年に参加。社内では案件の他、植物の手入れからDIY、社内インフラ管理と幅広く担当。社内案件だったうちゅうブルーイングに出会い、クラフトビールに没入中。

Makiko Hasegawa 長谷川 槙子

Director

主なプロジェクト:
Shibuya Startup Support 2023
ONSEN CULTURE CULTURE
B Inc.

宮城県仙台市生まれ。12歳、15歳年の離れた兄2人との3人兄妹の末っ子。祖父と母の影響で書道とお絵描き教室に通いつつ、少し男まさりな子に育つ。

中学の頃には朝晩部活のソフトテニスに取り組む傍ら、兄の影響でThe Beatlesを聴き、音楽・バンドに目覚める。当時、好きなバンドが下北沢でよくライブをしていたことや、古着やファッションが好きであったため、東京・下北沢へ夢を描いていた。

上京後は服装学部での大学生活とレコードBarで4年以上働きながら、個性豊かな人々との関わりから邦洋問わず60年代〜80年代音楽の良さを教わり、海外のミュージシャンや日本の歌謡曲など様々な音楽を嗜むように。また、お酒好き一家の影響もありひとりで呑み歩く楽しさも知り、少々破天荒な生活を送る。

社会人になり、アパレルメーカーで雑貨のアシスタントデザイナーとして働いた後、広告代理店にて主に紙媒体、企業ブランディングを事業とする会社でディレクター業に従事。

出産を経て、子供が生まれてからも今までとなるべく同じように仕事をしていきたいと思い社会復帰。ウェブの経験を得るためにシステム開発系のウェブ制作会社でディレクター兼マネージャーを務めていた矢先にノングリッドを知り、実績や記事などから、この会社で働けたらもっと自分が楽しんで仕事をすることができると感じ応募、2021年にノングリッドへ入社。主にウェブ系のディレクターを担当する。

仕事の傍ら、自分で書いたアクリル画、デジタルイラストの展示や、服飾、写真、音楽などの文化を楽しむイベントを行っている。

お笑いも好きでテレビ番組の録画に追われる日々。今まで見たライブパフォーマンスで感動したのは2014年のThe Rolling Stones、好きな映画はメジャーだがLEON。

15年後の夢は、自分はディレクター業やイラストを描き、夫には店内でギターを奏でてもらい、大人も子どもも一緒に楽しめるカフェバーを開くこと。

東京都世田谷区玉川生まれ。幼少期は「玉川生まれの玉川」として自己紹介の鉄板ネタにしていた。内向的な父と、パワフルでアクティブな母の元で育つ。母が人を家に招くのが好きな為、昔から大人に混じりおしゃべりしていた。母曰く、私が今でも人見知りをしないのはそのおかげらしい。両親共働きで幼い頃から留守番が多く、テレビを観るか、パソコンでひたすらブログやアバターSNSで他人とコミュニケーションをとることが好きだった。熱しやすく冷めやすい性格で、漫画やゲーム、お笑い、音楽ライブなど多種多様に没頭していた。趣味が周りとズレていることもあり、ネットで共通の趣味を持つ人と繋がって仲良くなることが多かった。小学校では、サッカーチームのキャプテンをしていた姉と同チームのコーチをしていた父からサッカーをやらないかとすごく勧誘されるが、頑固で天邪鬼な自分はミニバスケットボールを始める。中学でもバスケットボールを続け、高校ではプレイヤーとしてやれる自信がなく男子バスケットボール部のマネージャーに。サポートをすることに楽しさを覚えた。
元々漫画が好きで絵を描いていたこともあり、デザインに興味を持っていた。芸術系の大学へ進学した姉を意識して、自分も同じ進路を目指すようになる。その後日本大学芸術学部デザイン学科に入学。在学中は広告業界に興味があり、大手広告代理店のインターンに行くなどしていたが、自分の才能のなさとやりたいこととのズレを感じ将来を悩み始める。しかし大学の恩師の指南でデザイナーなど技術者の気持ちを言語化しプロジェクトを推進するディレクター職に向いているのではと言われ、デザイナー以外の道を知る。また、同時期に姉からブランディングという仕事があると聞き、興味を持ち出す。ものづくりの始まりから関わっていきたい自分にはとても合っていると感じ、大学卒業後、ブランディングデザイン会社のディレクターとして就職。カルチャーやアート、ウェブにさらに携わっていきたく、2021年1月にノングリッドヘ入社。
生き物が好きで、特に猫と爬虫類をこよなく愛する。多種多様な生き物に囲まれて生活するのが夢。

Yuri Ezaki 江﨑 由梨

Assistant Designer

主なプロジェクト:
山に還り水にとけあう 水のリトリート
BRING Material
ONSEN CULTURE CULTURE

東京生まれ。温厚な父とマイペースな母、いたずらっ子な兄の4人家族。学びたてのプロレス技をかけられる大変な日々だった。初めて物事に夢中になった記憶は3歳の時に放映されていた「TVチャンピオン」。モノづくりをする職人達に熱中。技術職への憧れを持ち、手を動かして何かを作ることが好きな子どもだった。その後中高一貫の女子校に入学。大学受験で美大のデザイン科か一般大学か迷い、美大の予備校に夏休みだけ参加。模写は得意だったがそこで初めて自分で考えて描くことを経験し、考えては壊す行為がとても辛くこれは仕事には出来ないと感じ私大を選択。大学で服飾系の学科に入るも体育会ラクロス部に4年間の全てを捧げた。競技生活で今の財産となる人間関係と図らずも精神力を得る。就活は色彩を大切にする世界であること、モノづくりの職種であることの自分なりの条件はあったが、その最終的な表現は不明瞭で服飾は作る側になるイメージが沸かず、最初は趣味の延長でパティシエになるためパティスリーに就職。3年間過ごすがこの仕事ではないと感じ転職。店舗のアートワーク制作の会社に入ると同時に、ラクロスを社会人チームで再開。練習・コーチング・仕事と、刺激的な仲間とハードな日々を過ごす。自分達でビジュアルを作る会社ではなかったが、入社半年後にある大手クライアントから「とりあえずデザインしてみて。」との1本の電話をきっかけに、しばらく絵を描いていなかったがそこから描くようになる。転機と仕事をくれ続けたその方にはとても感謝している。仕事の幅も広がってきた28歳の時に、突然原因不明の病に倒れる。「もう死ぬのかもしれない。」と身体的、精神的に感じた衝撃的な感覚と、今死を目前に自分が何を思うかを知ったことがその後の行動基準と原動力になる。これからの自分が歩みたい道を考える機会にもなり、今同時代に生きてる人と社会に還元できることと、自分の好きなことが交差するところにある仕事は「デザイナー」だと確信。独学を抜けるため専門学校で2年間働きながらデザインを学ぶ。より社会に近く、デザインに特化した環境で仕事がしたいと考え2023年ノングリッドへ入社。生きることのもつ明るさを常に根底に持ったまま、デザインを手段(味方)にこの時代とモノづくり、自分の変化を精一杯楽しみたい。

1997年埼玉県生まれのひとりっ子。幼少期はとても内向的で外で遊ぶよりもレゴや折り紙でよく遊んでいた。小学生時代は水泳を習っていたおかげか身体能力が高く、足も速かったためモテたがその頃がモテ期のピークだった。中学生の頃はバンドが好きな友達の影響でロックにハマり、親に内緒で3,000円程の中古ギターを買って、こっそりと練習をしていた。中学卒業後は思春期特有の「周りと同じが嫌だ」という思いと就職率が高いという理由で東京都八王子市にある5年制の高等専門学校、いわゆる高専に入学。情報工学科を志望していたが1年時の学科体験であまりピンとこず、ものづくりにも興味があったため機械工学科を専攻。念願の軽音楽部に入部し、学生時代のほとんどを部活動に注いだ。部活への熱意を先輩に認められ、4年生の時は部長を務めた。当時、80人以上いた部員をまとめたり、様々なイベントやライブを企画した経験は今の仕事にも活きている。その反面、勉学がおろそかになり機械工学への興味も薄れてしまっていた。将来やりたいことが分からなくなり、進路にとても悩んでいたが短期バイトで夢を追う様々な人に出会い、感化される。5年間寮生活で専門分野を学んでいた自分の狭い価値観をもっと広げたいと思い、高専卒業後は就職せずに短期バイトを掛け持ちして色々な経験をしつつ、そこで出会った多くの人の価値観に触れる。とあるきっかけで服に興味を持ち始め、アパレルのバイトを1年以上続ける。同時に自分の好きなことを仕事にするにはWEBのスキルが必要だと思い、独学でWEB制作の勉強を始める。当時、たまたま募集していた楽器店のクリエイティブ部署にバイトとして入り、その後正社員として3年近く働いた。そこでWEB制作やデザイン、動画撮影/編集、SNS運用などWEBやクリエイティブ系の経験を多く積む。スキルアップやもっと企画段階から携わりたいという思いからノングリッドに入社。将来は自分の好きを詰め込んだライブスペース、セレクトショップ、アートギャラリーなどが融合したカフェバーを開くのが夢。

​​Anri Nakano 中野 杏里

Assistant Director

主なプロジェクト:
山に還り水にとけあう 水のリトリート
まぬけスペシャルサイト
B Inc.

東京都世田谷区出身。飲食店でオーナーシェフをする父、パタンナーの母の元に生まれた三姉妹の長女。父に連れられ、保育園時代からいろんな店にご飯を食べに行き、フォークナイフは完璧、好きな味じゃないものは食べないなど、随分とませた幼少期を過ごす。そこから、勉強そこそこ、部活そこそこな小中時代を送り、高校受験、人生で一番勉学に励み無事執念で合格。部活、応援団、行事、やりたいことをやりまくり、まさにテストは3点、笑顔は満点(さすがに一桁はないですが)な楽しいながら勉学にはだらしない高校生活を送る。高3の春、パタンナーの母の影響もありアパレル業界に進むことを決め、服飾の専門学校ビジネス科に入学。卒業後はライフスタイルブランドで販売、その後先輩のツテでアパレルセレクトショップのEC事業部に勤める。自分でガシガシ進められる環境に感謝しつつも、仕事で知った会社に興味を持ち転職。場所に価値を生む、スペースマネジメントの仕事を通じて、自分の「好き」や「やりたい」を活かせること、仕事の中でのやりがいを強く感じる。ノングリッドでは未経験のウェブ領域に挑戦することになるが、異なる業界で培った経験を生かし、自分の強みにしていきたい。

仕事以外で一番時間を割いているのは、食。みんなでわいわい食べるご飯が好き。食べることが好きなのは、幼少期から変わっていないが、お酒も楽しい、大人って最高。旅行での目当ても何が食べたいかをメインに旅行先を決める。食べたいご飯も、買いたいお土産も、周辺の遊べそうな場所も調べるが、詰めが甘いタイプ。平気で定休日なんてこともある。いまだに遠足の前日気分になり、なかなか寝付けないこともあるので朝はバタバタ。狂うに狂う計画。でもいい、また早く、美味しいものを求めて、計画3点、笑顔は満点のグダグダ楽しい旅行がしたい。

Takuya Nishi 西 拓哉

Producer (Partner)

主なプロジェクト:
otona MUSE(オトナミューズ)
DESIGNART TOKYO 2020
Aoki Tokyo | アオキ トーキョー
YOYOGI CANDLE 2020

和歌山県那智勝浦町生まれ。海と山、自然に溢れた観光地でタクシー会社を経営するサーフィン好きの父と喫茶店を営む母の間に生まれる。強気な姉と美意識の高い妹がいたこともあり、気が優しく可愛いものを好む性格に育つ。3歳の誕生日にサッカーボールをもらったことをきっかけに毎日サッカーに明け暮れる。“ボールはともだち” の勢いでメキメキと上達し、8歳の時に参加したサッカー教室で名古屋グランパスエイトからスカウトを受け、一念発起し家族で愛知に引っ越す。それからも青春時代をすべてサッカーに注ぎ込み、小・中学生で全国大会優勝、東海選抜、全国遠征や海外へサッカー留学などを経験する。適応力の高さはこの間に身につく。高校入学後も全国大会を目指しサッカーに明け暮れるが、高2の春、試合中の事故で膝の靭帯と半月板を損傷。全治6ヶ月、初めてサッカーができない生活を経験し、将来の自分に不安を覚える。復帰後も膝の調子は戻らず高校卒業とともにサッカーを引退するが、大学に行けるほど勉強をしてこなかったため浪人して受験勉強に集中する。
大学で上京後、第二の人生と意気込み、体力と希望に満ち溢れていたため、学外活動でフィリピンの孤児院支援やスポーツマーケティング会社でイベント企画のインターンなど、いわゆる意識高い系の学生生活を謳歌する。その頃、たまたま参加したイベントでアートやデザインにも触れるようになり、多様な価値や表現を生み出すひとに魅力を感じ、将来はクリエイターと仕事をしたいと考えるようになる。
大学卒業後、多くのクリエイターと仕事をするためクリエイター専門の人材会社へ入社。ウェブ、グラフィック、映像、広告業界のクリエイターキャリア支援を行いつつも、もっとモノづくりの現場に身を置きたいと考え、2017年5月にノングリッドへ入社。入社後、さまざまなブランドや企業の価値を高めるクリエイティブの企画・制作など幅広い案件に携わる。今後はデザインやクリエイティブの力を社会課題の解決に役立てながら、同業界の可能性も広げていける存在になるため日々邁進中。

Arata Iga 伊賀 新

Why Juice? Brand Manager

札幌市生まれ。ガラス職人などに憧れていたが一転、パティシエという仕事を知りその道を選ぶ。専門学校で学び、何度も研修に通った憧れのフランス菓子店に就職。誰よりも早く出社し下準備をするため起床は朝3時半、夜は先輩の退店後に練習し23時に帰宅、といった下積み時代は、味噌汁片手に眠っていたこともしばしば。4年後に上京し日本橋のケーキ屋へ。スキルアップのため渡仏を社長に相談すると、新たに出すドバイ店のシェフに誘われる。現地視察で3カ月間ドバイで研修を行うも、出資者であるアラブ人の気まぐれにより出店は頓挫。その時に英語が話せないことでの疎外感を経験。語学を学ぶため渡米、ハワイのジャパニーズペストリーでヘッドシェフを努める。その後、子宝に恵まれ日本での出産を妻と決め帰国。帰国後、異業種である二部上場企業のパンスイーツ事業の立ち上げで店舗マネージャーを経験、職人畑で育った自分にとっては会社員としての常識を植え付けられた転機だった。その後、スイーツ店のアドバイザリー業を立ち上げ、店舗改革や商品開発などに従事。将来の起業に向けもっと経営的な見地を広げたいとの思いから、縁あってノングリッドの面接を受けた。代表の小池が掲げる会社としての社会性と、社会が今後向かうべきものへの思いを聞き、感銘を受け2021年4月入社。その時考えさせられた事は2つ。人並みにゴミを分別するなど環境を汚さないようにする意識はあったが、社会に一石を投じるようなことはないだろうと端から決めつけていた。でもそれじゃダメだよなということ。もうひとつは、環境問題への難題について “考えることをしない” ことは誤った行動であること。スイーツ業界は、衛生面、品質保持、テイクアウト、賞味期限、売り場にものがなきゃ売れないなど、容易に解決できない問題を抱えているが、プラやフードロスについて “切っても切れないもの” と思考停止せず、問題解決に取り組んでいきたいと考えている。Why Juice? 事業の目標達成時は、自分自身も大きく成長できると感じている。ブランドマネージャーとして事業性と社会性2つの課題に邁進中。

Yoshihide Yamazaki 山﨑 祐秀

Why Juice? Store Manager

神奈川県相模原市生まれ。地元出身の父と沖縄県出身の母の元に生まれる。山や川に囲まれた生活環境、父が趣味で畑仕事や釣りをしていたこともあり、幼少期より自然の中で遊んできた。小学4年生の時、事務の先生の影響でバスケットボールに出会う。NBAでのマイケルジョーダンの活躍、スラムダンクの連載スタートも重なり一気にハマっていく。中学校ではチーム1の小柄ながらキャプテンとしてプレイ。高校もバスケ部顧問の先生で学校を選んだ。高校卒業後は、社会人バスケのリーグへ自分たちでチームを作り参戦。社会人になっても数年続けることとなる。丈夫な体とメンタルは、バスケによって育まれた。
大学は麻布大学の環境政策学科へ進学。自然に囲まれて育ったということもあり環境問題に関心を抱く。法律・経済・化学・文学と多方面から環境問題を捉えることにより、多くの学びと知識不足の挫折を味わう。大学卒業後は、内定をもらっていた営業職へ進む…予定だったが、定年まで働く前に今しかできないことがあるのではないかと思い、1年間ドイツへ旅立つ。なぜか英語圏以外に行きたかった。ビールが美味しそうなのも理由だったのだが。ドイツ語もできるわけはなく、フランクフルトの語学学校に通いながら様々な国の人たちとビールを飲む日々。3ヶ月が過ぎた時、ふと思い立ってミュンヘンに引っ越す。アルプス山脈をはじめとする魅力的な大自然が近いこともあり、ミュンヘンを拠点にアルバイトをしながら旅行する日々を送る。近所の美術館前のストリートコートでバスケをしながら徐々にコミュニティを広げていき、ドイツでも自分たちでチームを作ることになる。
帰国後は、アウトドアフィールドへ出る人の手伝いがしたくスポーツショップで働き始める。10年間働いた末、いいものを大切に使ってもらいたいという思いと、たくさんの商品を売らなければ予算達成できないジレンマに陥り転職を考える。そんななか Why Juice? 葉山店で妻がバイトを始めたことでノングリッドを知る。会社としてのこだわり、フードロスへの取り組みなどに惹かれ入社。現在はWhy Juice? の店舗・オンラインショップの運営、営業と幅広く担当。

Kazue Ogawa 小川 和恵

Office Administrator

東京都出身。タイヤメーカーで海外工場立ち上げのため日本と海外を行き来する父と職場結婚後専業主婦の母、妹と共に幼少時西多摩地域へ転居、ピアノと習字を習いつつ山の中で田畑と虫に囲まれてのびのびと育つ。読書好きで毎年学級委員をつとめる一方、夏は連日プール、冬はスケートをするアクティブな子ども時代。中高大は器械体操部、創作ダンス部、競技ダンス部、サルサと、ダンス漬けの日々を過ごす。カトリック女子高、女子大を経て大手損保の公務部門にて営業事務を担当、長女出産を機に退職。
長男、次女出産後、夫の転勤に伴い家族でスペインに3年在住、一度も帰国せず大変なことも多々ありつつ、スペイン国内はじめEU各国を家族で旅行したりフラメンコやスペイン料理を習い楽しい日々を過ごす。旅行中長男が迷子になりかけたり、ピレネー山脈の湖に次女が落ちたり、スペイン最西端の地(当時の自宅から700㎞)で車が壊れたり、空港行きのバスが渋滞に巻き込まれ乗客全員で空港カウンターにダッシュしたり、格安航空で着陸時に拍手が巻き起こったりと、滞在中の面白エピソードには事欠かない。現地にて着物ショーの選曲と振り付けを担当し自ら出演したことも。次女の幼稚園でスペイン語しか通じず発奮して現地の語学学校に通いママ友と雑談ができるように。雑談であっても「あなたはどう思うか」を常に聞かれ他人と違う自分自身の意見を話す必要があり、毎日自己主張のスキルを磨き、ハグとキスを大量に浴びて育つ現地の子どもたちを見て、日本の子どもたちと比べて自己肯定感に差が出るはずだと実感する。
帰国後友人が創業した社団法人と株式会社の総務経理事務全般を担当、2019年よりノングリッドのバックオフィス全般を担当。感度の高い社員スタッフのセンスの良い仕事ぶりを楽しく見ながら会社全般をサポート中。
延々と続く子どもたちの受験が終わったらまたヨーロッパを訪れたい。中央省庁勤務の夫と中学1年生から高校3年生まで1男2女の5人家族。