Philosophy

ノングリッドは、人々の生活や心が豊かになっていくように、新しいイイコトを生み出し、育て広げていく“CREATIVE FARM”。企業や社会が抱える課題は、より豊かな未来へ向かうためのタネでもあるはず。私たちはそのタネに、真剣さと遊び心を注ぎ、変化する時代に合わせて軽やかに発想を変え、時に果敢なジャンプをして、心弾むクリエイティブを世の中に送り出していきます。

Creator Partnership

ノングリッドは、多ジャンルかつグローバルに、シーンの一線で活躍するクリエイターとパートナーシップを結んでいます。さまざまなジャンルのクリエイターとともに互いの可能性を引き出し合いながら、社会へと広く伝播するクリエイションの提供を目指しています。

Artist
Art Director
Designer
Fashion Director
Photographer
Videographer
Copy Writer
Illustrator
more

Company Information

COMPANY

株式会社ノングリッド(NON-GRID INC.)

REPRESENTATIVE

小池 博史

FOUDEND

2000年4月30日

TEL / FAX

03-5428-8686 / 03-5428-8685

CAPITAL

10,000,000 円

SERVICES

BRAND DESIGN

  • ストラテジープランニング
  • デザインディレクション
  • アートディレクション
  • ヴィジュアルアイデンティティ
  • ウェブデザイン
  • など

COMMUNICATION DESIGN

  • コンテンツプランニング
  • エクスペリエンスデザイン
  • ウェブプロモーション
  • デジタルインスタレーション
  • セールスプロモーション
  • など

Why Juice?

  • 店舗販売
  • OEM
  • 法人取引
  • 店舗運営サポート
  • ウェブデザイン
  • など

Why SDGs ?

  • フードロスやゴミ削減
  • 環境や健康の啓蒙と教育
  • 地方創生サポート
  • 農園体験イベント
  • など

Client

  • Audi
  • APeCA
  • インフキュリオン
  • VALENTINO
  • 宇宙カンパニー
  • K2ジャパン
  • Cartier
  • GUCCI
  • KEN OKUYAMA DESIGN
  • THE ROYAL PARK CANVAS
  • SARU INTERNATIONAL
  • CG-ARTS
  • 渋谷区
  • CHANEL
  • 自遊人
  • JUN
  • 宗玄酒造
  • DESIGNART
  • 富山県西部観光社 水と匠
  • ニトリパブリック
  • PARK HYATT TOKYO
  • パーソルホールディングス
  • 白馬村振興公社
  • ポーラ
  • 星野リゾート
  • Louis Vuitton Japan
  • 50音順、敬称略

Hiroshi Koike a.k.a hk 小池 博史

CEO / Communication Director

福島県郡山市生まれ。青春時代はバイクが校内を走るヤンキー文化全盛期、スリルとカッコ良さから傾きかけたが軌道修正、田舎から抜け出したいと高2から奮起し猛勉強。公害や食品添加物が社会問題になるなか食の仕事に携わりたいと、日本大学農獣医学部食品工学科に入学。志望理由は半分ホントで半分は上京したい一心であった。東京に憧れるも1年目は神奈川県藤沢市という地元の郡山とさほど変わらないヤンキー文化が色濃く残る街に住み始める。大学2年で東京校舎になり晴れてシティライフをエンジョイだ!と心踊ったが、三軒茶屋の風呂なしトイレ共同アパートには男子同級生や剣道部の先輩が毎晩押し寄せ、その願いは崩れ去った。
そんな暑苦しい大学を卒業し、1990年に(株)そごうに入社。多摩そごうに配属され食品とインテリアを経験。入社してすぐバブルが崩壊し何も売れない時代、お客様を呼び込むため仕事終わりに毎晩チラシのポスティングをしていた。非常にレスポンスが悪い営業、しかし他のアイデアもなく心が病んでいた1993年、家電売場のMacintosh LCにふと目が止まった。何物かも分からないのになぜあの時「これなんですか?」と聞いたのか。あの時聞いていなかったら今の自分はなかったかもしれない。この小さな箱でパソコン通信やインターネットを使い世界中と繋がり新しいコミュニケーションが生まれると知り、未知の可能性を感じた。…チラシから逃げたい一心だったかもしれない(笑)。当時100万円以上したパソコンを3年ローンで購入、独学で百貨店のホームページを作ったりと、水を得た魚のように新しい世界に没頭していった。その後転職したデザイン専門学校でテレアポなど入学営業をしながら広告や販促物、ウェブなど制作ディレクションを経験し、2000年にノングリッドを設立。デザインに携われるまでかなり遠い道のりであったが、販売や営業などお客様とのダイレクトなコミュニケーションに関われた経験は今も生きており、そこが自分の持ち味だと思っている。自分たちの生活や社会が明るく健康に暮らせるデザインが日々の関心ごとであり、自分の使命。
好きなことは家族と音楽とお酒と登山とスキー。

Yutaka Kondo 近藤 豊

COO / Producer

主なプロジェクト:
GUCCI HANAMI
YOYOGI CANDLE 2020
Infcurion
Aoki Tokyo | アオキ トーキョー

1986年東京生まれ。CM制作プロデューサーの父と専業主婦の母、9歳離れた兄のいる次男として育つ。幼少期から音楽好きで、家にあったピアノ、ギター、ベースなどを触り出した小学生に、ラッパーの兄は様々な音楽やカルチャーを叩き込むのであった。当時はオリジナルのプレイリストをカセットテープにダビングしたり、暗記したオリコンランキングをもとに友人らにクイズ形式で情報をお届けするという気味の悪い遊びを日課にしていた。
中学校にあがるとオシャレな友人ができ、毎月たくさんの雑誌を読んで学習しては、原宿などに出かけてうろちょろしだす。この頃からファッションや音楽と同じくらいの熱量で日本映画にのめり込み、石井克人氏や中野裕之氏、岩井俊二氏らの世界観に憧れ、映像の仕事を志す。そうして映像の専門学校に入学するも「アレ、なんか違う」という状況に陥りモヤつく。
専門学生時代からDJを始めクラブ活動に没頭、交友関係からとある音楽メディアで映像コンテンツの制作を担当できることになり就職。映像制作をしながらウェブ制作も学び始め、刺激的な社会人生活を送りつつも、クラブ活動がより本格化し様々な海外アーティストを招聘したイベントオーガナイズも手掛けるようになる。とにかく遊ぶ。
そして数年が経ち、ウェブ制作をより突き詰めていきたいと転職を決意。ウェブデザイナーとして数年働くも、企画から携わりモノづくりを遂行していくディレクター職の方が向いていると思い、広告制作会社へ転職すると同時にディレクターへコンバート。ナショナルクライアントなどの案件を多く経験しその後プロデューサーへ。2014年頃に代表の小池と酒場で出会い、新卒で入社した音楽メディアのサイト制作、転職先のロゴ開発やサイト制作など、過去自分が関わってきた会社の多くのクリエイティブ制作をノングリッドがしていたことを知り、驚きとご縁を感じる。その後招かれたホームパーティーでDJの選曲を認められ、2015年ノングリッド入社。
ノングリッドではジャンルを問わずウェブやインスタレーションを中心に様々なプロジェクトを担当している。

Tadahiro Gunji 軍司 匡寛

Visual Artist / Design Director

主なプロジェクト:
Why Juice?
うちゅうブルーイング
世界のはたらくWell-being
宗玄酒造

福井県生まれ埼玉県育ち。三兄弟の真ん中。父はテレビ業界、母は主婦兼パートだった。お絵描きが大好きな少年は、漫画やアニメ、ゲームに夢中になる。愛用のゲーム機はメガドライブ、クラスでたった1人だった。この時点ですでに王道からズレ始める。小学校時代、オリジナル長編RPGの設定資料を大学ノートに数冊描きだす謎の使命に没頭。画力向上。中学はバスケ部に入るも怪我で休部。勉学に興味を見出せず、そこそこの進学校であった高校では赤点続き。答えが一極集中しない芸術の道が気になるように。所属していた軽音部のライブでダイブし、首を捻挫し救急搬送、入院中漠然と将来を見据え、美大進学を志す。この頃から頭の中はアート、デザイン、漫画、ファッションに。今でも知識は8割漫画から得たと思っている。その後東京藝術大学を目指すも、一浪。友人には恵まれた。万を期して東京藝術大学デザイン科へ入学後はスケボーとアニメーション制作に没頭。卒業制作のアニメーションが憧れであった海外の映像祭に選ばれ上映。海外への思いを胸に抱くも、デザイン会社へ就職。どっぷりデザイン業界を堪能するも、燻っていた海外生活、自分のクリエイティブの原点を深めたく退社。代表の小池と出会い、遊び心と仕事のスタイルに感銘し、2013年ノングリッドへ。2014年にはNYへ留学し、訪れた美術館Dia Beaconに触発され、アーティストとして作品制作に没我。2017年にアートの探究、実子の教育のためNYに移住。遠隔で様々なプロジェクトに参加しつつ、海外のプロジェクトにも参加、またアーティストとしての作品も定期的に発表し続けている。近年はLAのギャラリーTAPPANにも所属。コロナ以降、バスケ、テニス、フリスビー、釣り、キャンプ、ギター、読書、NBA観戦など広く浅く色んな趣味に手を出し始める。この頃からSNSに懐疑的な思いを抱き、 NBA以外ほとんど見なくなる。好きな漫画は「ブッダ」「火の鳥」「風の谷のナウシカ」「プラネテス」「寄生獣」、藤本タツキ作品、「へうげもの」など。影響を受けた本は「人新生の資本論」「アドラー心理学」。
「デザインで、人々の欲望を不必要に喚起することではなく、人の考え方や発想を涵養すること」これが命題となり、日々暗中模索中。

Aiko Yaguchi 矢口 愛子

Producer

主なプロジェクト:
世界のはたらくWell-being
Shibuya Startup Support
松本十帖・ALPS TABLE
水と匠

東京都渋谷区出身。バブルを謳歌するテレビプロデューサーの父と生真面目な性格の母の元に生まれる。幼少期はお絵かき教室、プール、公文、ピアノ、体操と習い事で多忙な日々を過ごす。中高はミッション系女子校へ入学。時代を象徴するような日サロ・マルキューのギャルになるが、学校の教育方針によるボランティア活動や農業・園芸なども経験し、見た目と相反する正義感や奉仕の心をすくすくと育む。その後、特にこれといった目標はなかったが、成城大学文芸学部に進学し4年間課外活動(主に飲み会とクラブ)を謳歌し、就職。アパレルメーカーの事務や営業職を経験。
東日本大震災をきっかけに、自分は何のために生きるのか、社会に少しでも貢献できることはないかと考え始めた頃、転職したコンサル企業で仕事人生における転機を迎える。ファッションブランドや化粧品、車、商業施設などさまざまなクライアントのマーケティング業務によってブランドや事業のプランニングに携わり、それまでになかった「仕事に対するやりがい」を覚えた。しだいにリサーチやプランニングだけではなく、ブランドをデザインする仕事に携わりたいと思うようになる。一緒に仕事をし、当時から交友が深かったフォトグラファー田口まきのお膳立てで、酒に酔った代表の小池に自分の想いをプレゼンしたところ「いいねぇ」と言われ、2016年ノングリッドに入社。
ノングリッドでは、地域ブランディングから企業の新規事業など幅広く担当。暮らしや社会の身近な課題をクリエイティブでサポートする仕事が好き。
実は給食が大の苦手で食の細い子ども時代を過ごしていたが、今となっては食への関心が極めて高く、もちろんエンゲル係数も高め。料理をするのも好きで、作り置きおかずをたくさん作れたときはとてもシアワセ。最近はコロナ禍でガーデニングも始め、オシャレだと信じてやまない「丁寧な暮らし」の実践に挑戦している。また、健康維持のため毎日の愛犬の散歩と時々のヨガを習慣に。虫は苦手だが、海・山・田舎など自然が好き。地方出張や撮影は俄然張り切るタイプ。

Kazutaka Okuno 奥野 一孝

Director

主なプロジェクト:
GUCCI HANAMI
Infcurion
松本十帖・ALPS TABLE
温泉山荘 だいこんの花

岩手県釜石市生まれ、花巻温泉街の民藝店にて育つ。幼少期からものづくりの環境が身近にあり、ハサミや筆を持ち何かしら作っていた記憶がある。絵を嗜む祖母の影響で、絵画図工のコンテストではよく入選していた。都会に住む歳の離れた親戚の影響で、幼い頃からファッションや音楽に興味をもち都会への憧れを持つ。都会へ出るなら進学校へ行かねばと、家庭教師をつけ塾にも通い猛勉強の末進学するが、希望校に入れたことで満足し、だらけてしまい進学校のお荷物になる。進路や現状に煮詰まって高校2年生の時に東京へ家出、たまたま表参道で個展をしていた美大生に出会い、美術やものづくりに興味があることを再確認し、美大進学を目指すが、仙台の美大予備校にて他生徒との実力・センスの差を思い知りことになり、見事受験に失敗、1年浪人する。入学と共に上京、大学デビュー。他大学、専攻に関係なく授業に潜り込み、広く浅く多くを学ぶが、人と違うことが正だという典型的な美大生あるあるに陥る。当時、悪名高きラグビー部の先輩から紹介されたアルバイトで、地下鉄の電気工事、アスレチックの設営など、思っていたのと違う肉体系のハードな現場作業を経験。現在のディレクター職での現場の関係づくりに大いに役立っている。
卒業後ウェブ制作会社でデザイナーとしてインターンをしている間に、友人の誘いで未発展だった葬儀業界で骨壺のデザイン開発をおこない実績を積む。試作などで当時流行っていたデジタルファブリケーションの現場やメーカーのアイディアソンに参加するなど社外活動を盛んにおこなう。その後、商品開発やプロダクトデザイナー職を転々とし、需要を優先した低コスト・大量生産の商品開発に病み、以前から興味のあったノングリッドへ2018年に参加。社内では案件の他、植物の手入れからDIY、社内インフラ管理と幅広く担当。社内案件だったうちゅうブルーイングに出会い、クラフトビールに没入中。

Makiko Hasegawa 長谷川 槙子

Director

宮城県仙台市生まれ。12歳、15歳年の離れた兄2人との3人兄妹の末っ子。祖父と母の影響で書道とお絵描き教室に通いつつ、少し男まさりな子に育つ。

中学の頃には朝晩部活のソフトテニスに取り組む傍ら、兄の影響でThe Beatlesを聴き、音楽・バンドに目覚める。当時、好きなバンドが下北沢でよくライブをしていたことや、古着やファッションが好きであったため、東京・下北沢へ夢を描いていた。

上京後は服装学部での大学生活とレコードBarで4年以上働きながら、個性豊かな人々との関わりから邦洋問わず60年代〜80年代音楽の良さを教わり、海外のミュージシャンや日本の歌謡曲など様々な音楽を嗜むように。また、お酒好き一家の影響もありひとりで呑み歩く楽しさも知り、少々破天荒な生活を送る。

社会人になり、アパレルメーカーで雑貨のアシスタントデザイナーとして働いた後、広告代理店にて主に紙媒体、企業ブランディングを事業とする会社でディレクター業に従事。

出産を経て、子供が生まれてからも今までとなるべく同じように仕事をしていきたいと思い社会復帰。ウェブの経験を得るためにシステム開発系のウェブ制作会社でディレクター兼マネージャーを務めていた矢先にノングリッドを知り、実績や記事などから、この会社で働けたらもっと自分が楽しんで仕事をすることができると感じ応募、2021年にノングリッドへ入社。主にウェブ系のディレクターを担当する。

仕事の傍ら、自分で書いたアクリル画、デジタルイラストの展示や、服飾、写真、音楽などの文化を楽しむイベントを行っている。

お笑いも好きでテレビ番組の録画に追われる日々。今まで見たライブパフォーマンスで感動したのは2014年のThe Rolling Stones、好きな映画はメジャーだがLEON。

15年後の夢は、自分はディレクター業やイラストを描き、夫には店内でギターを奏でてもらい、大人も子どもも一緒に楽しめるカフェバーを開くこと。

Ikuho Yamana 山名 生穂

Assistant Director

主なプロジェクト:
GUCCI HANAMI
Infcurion
宗玄酒造
うちゅうブルーイング

兵庫県神戸市生まれ。海も山もすぐそばにある街・神戸の山側の小さな町で育った。家族構成は定年を迎え35年勤続した会社でアルバイトになった父、パートなのに働きすぎて役職がついている母、3つ上の芸人の兄の4人家族。
小学校の頃はスポーツと図工が大好きで、ものづくりが好きな父と大工だった曾祖父の影響で建築デザイナーを夢見ていた。趣味は方眼ノートに家の間取りを書くことだった。中学時代はバスケ部に所属。体育祭ではチアダンスの実行委員をし、ダンスに目覚める。高校は美大生に憧れ、美術・デザインコースのある高校に進学。立体造形・グラフィックデザインを専攻し、週10コマは美術の授業があった。美術部とダンス部に所属。ダンス部ではコンテンポラリーダンスをメインに活動。高2の冬、美術コースのみんなはほとんどが美大に進学することを決めるなか、芸術で食べていく想像がまったく出来ず悩む。そこで、元々ファッションが好きであることと職業としてイメージのつくファッションデザイナーの道へ進むことを決意。大阪文化服装学院スーパーデザイナー学科へ進学し、ファッションデザインを学んだ。どっぷりファッションの世界にのめり込み、ファッションデザインのことが頭から離れない日々を過ごす。尊敬するファッションデザイナーは当時CELINEのPhoebe Philo。最終学年で発表した作品がファッションコンペでグランプリを獲得。当時の作品は現在も衣装として雑誌などの媒体へ貸し出している。卒業後はアシスタントデザイナーとしてアパレル企業の人気ブランドに在籍。アパレル業界を肌で感じて行くなかで、自分の好きな表現で服を作りたいという想いが強くなり退社。
アパレル以外は未経験ながら新しい挑戦として2020年2月よりノングリッドに入社。
ずっとアパレル業界に居るものだと思っていたため、あの時美大に進学しておけば良かったと少し後悔している。趣味は美術館へ足を運ぶこと、洋服を買うこと、映画やドラマ、アニメ鑑賞。時々演劇やお笑いの舞台を見にいく。ゆくゆくはノングリッドでの仕事と両立し、30歳までにブランドを立ち上げたいと思っている。

Nonoka Tamakawa 玉川 野々香

Assistant Director

主なプロジェクト:
世界のはたらくWell-being
Shibuya Startup Support

東京都世田谷区玉川生まれ。幼少期は「玉川生まれの玉川」として自己紹介の鉄板ネタにしていた。内向的な父と、パワフルでアクティブな母の元で育つ。母が人を家に招くのが好きな為、昔から大人に混じりおしゃべりしていた。母曰く、私が今でも人見知りをしないのはそのおかげらしい。両親共働きで幼い頃から留守番が多く、テレビを観るか、パソコンでひたすらブログやアバターSNSで他人とコミュニケーションをとることが好きだった。熱しやすく冷めやすい性格で、漫画やゲーム、お笑い、音楽ライブなど多種多様に没頭していた。趣味が周りとズレていることも多く、ネットで共通の趣味を持つ人と繋がって仲良くなることが多かった。小学校では、サッカーチームのキャプテンをしていた姉と同チームのコーチをしていた父からサッカーをやらないかとすごく勧誘されるが、頑固で天邪鬼な自分はミニバスケットボールを始める。中学でもバスケットボールを続け、高校ではプレイヤーとしてやれる自信がなく男子バスケットボール部のマネージャーに。サポートをすることに楽しさを覚えた。
元々漫画が好きで絵を描いていたこともあり、デザインに興味を持っていた。芸術系の大学へ進学した姉を意識して、自分も同じ進路を目指すようになる。その後日本大学芸術学部デザイン学科に入学。在学中は広告業界に興味があり、大手広告代理店のインターンに行くなどしていたが、自分の才能のなさとやりたいこととのズレを感じ将来を悩み始める。しかし大学の恩師の指南でデザイナーなど技術者の気持ちを言語化しプロジェクトを推進するディレクター職に向いているのではと言われ、デザイナー以外の道を知る。また、同時期に姉からブランディングという仕事があると聞き、興味を持ち出す。ものづくりの始まりから関わっていきたい自分にはとても合っていると感じ、大学卒業後、ブランディングデザイン会社のディレクターとして就職。カルチャーやアート、ウェブにさらに携わっていきたく、2021年1月にノングリッドヘ入社。
生き物が好きで、特に猫と爬虫類をこよなく愛する。多種多様な生き物に囲まれて生活するのが夢。

Takuya Nishi 西 拓哉

Producer (Partner)

主なプロジェクト:
otona MUSE(オトナミューズ)
DESIGNART TOKYO 2020
Aoki Tokyo | アオキ トーキョー
YOYOGI CANDLE 2020

和歌山県那智勝浦町生まれ。海と山、自然に溢れた観光地でタクシー会社を経営するサーフィン好きの父と喫茶店を営む母の間に生まれる。強気な姉と美意識の高い妹がいたこともあり、気が優しく可愛いものを好む性格に育つ。3歳の誕生日にサッカーボールをもらったことをきっかけに毎日サッカーに明け暮れる。“ボールはともだち” の勢いでメキメキと上達し、8歳の時に参加したサッカー教室で名古屋グランパスエイトからスカウトを受け、一念発起し家族で愛知に引っ越す。それからも青春時代をすべてサッカーに注ぎ込み、小・中学生で全国大会優勝、東海選抜、全国遠征や海外へサッカー留学などを経験する。適応力の高さはこの間に身につく。高校入学後も全国大会を目指しサッカーに明け暮れるが、高2の春、試合中の事故で膝の靭帯と半月板を損傷。全治6ヶ月、初めてサッカーができない生活を経験し、将来の自分に不安を覚える。復帰後も膝の調子は戻らず高校卒業とともにサッカーを引退するが、大学に行けるほど勉強をしてこなかったため浪人して受験勉強に集中する。
大学で上京後、第二の人生と意気込み、体力と希望に満ち溢れていたため、学外活動でフィリピンの孤児院支援やスポーツマーケティング会社でイベント企画のインターンなど、いわゆる意識高い系の学生生活を謳歌する。その頃、たまたま参加したイベントでアートやデザインにも触れるようになり、多様な価値や表現を生み出すひとに魅力を感じ、将来はクリエイターと仕事をしたいと考えるようになる。
大学卒業後、多くのクリエイターと仕事をするためクリエイター専門の人材会社へ入社。ウェブ、グラフィック、映像、広告業界のクリエイターキャリア支援を行いつつも、もっとモノづくりの現場に身を置きたいと考え、2017年5月にノングリッドへ入社。入社後、さまざまなブランドや企業の価値を高めるクリエイティブの企画・制作など幅広い案件に携わる。今後はデザインやクリエイティブの力を社会課題の解決に役立てながら、同業界の可能性も広げていける存在になるため日々邁進中。

Arata Iga 伊賀 新

Why Juice? Brand Manager

札幌市生まれ。ガラス職人などに憧れていたが一転、パティシエという仕事を知りその道を選ぶ。専門学校で学び、何度も研修に通った憧れのフランス菓子店に就職。誰よりも早く出社し下準備をするため起床は朝3時半、夜は先輩の退店後に練習し23時に帰宅、といった下積み時代は、味噌汁片手に眠っていたこともしばしば。4年後に上京し日本橋のケーキ屋へ。スキルアップのため渡仏を社長に相談すると、新たに出すドバイ店のシェフに誘われる。現地視察で3カ月間ドバイで研修を行うも、出資者であるアラブ人の気まぐれにより出店は頓挫。その時に英語が話せないことでの疎外感を経験。語学を学ぶため渡米、ハワイのジャパニーズペストリーでヘッドシェフを努める。その後、子宝に恵まれ日本での出産を妻と決め帰国。帰国後、異業種である二部上場企業のパンスイーツ事業の立ち上げで店舗マネージャーを経験、職人畑で育った自分にとっては会社員としての常識を植え付けられた転機だった。その後、スイーツ店のアドバイザリー業を立ち上げ、店舗改革や商品開発などに従事。将来の起業に向けもっと経営的な見地を広げたいとの思いから、縁あってノングリッドの面接を受けた。代表の小池が掲げる会社としての社会性と、社会が今後向かうべきものへの思いを聞き、感銘を受け2021年4月入社。その時考えさせられた事は2つ。人並みにゴミを分別するなど環境を汚さないようにする意識はあったが、社会に一石を投じるようなことはないだろうと端から決めつけていた。でもそれじゃダメだよなということ。もうひとつは、環境問題への難題について “考えることをしない” ことは誤った行動であること。スイーツ業界は、衛生面、品質保持、テイクアウト、賞味期限、売り場にものがなきゃ売れないなど、容易に解決できない問題を抱えているが、プラやフードロスについて “切っても切れないもの” と思考停止せず、問題解決に取り組んでいきたいと考えている。Why Juice? 事業の目標達成時は、自分自身も大きく成長できると感じている。ブランドマネージャーとして事業性と社会性2つの課題に邁進中。

Aiko Uemura 上村 亜依子

Why Juice? Communication Manager

大阪市のど真ん中に生まれた都会っ子。極度の人見知りで、ひとりっ子であることがずっとコンプレックスだった。変わってるね、と言われることが多く、褒め言葉だと思っていた。小学3年生の時勉強したら魔法を使えるのでは?と本気で思い、ひとまず図書館にある「魔女」と名の付く本は全て読破。気づけばただの本好き少女になり、結果、卒業文集に書いた夢は作家になって芥川賞を取ること。幼少期からぽっちゃり体型で、3歳から始めたバレエのおかげで踊れはするがスポーツは全般的に苦手、プールのない中学校があると知り私立女子中学に入学。高校時代は強豪ダンス部で朝から晩まで踊り続け全国大会入賞を果たす傍ら、公立美大を目指して美術部掛け持ちと進学コースの勉強漬けの日々。美術部の顧問と喧嘩し美大受験を諦めるが、とにかく東京に行きたくて明治大学文学部文学科演劇学専攻に入学、映画監督を目指していた。結果、映画より演劇にハマるも仕事にするのは厳しいことを実感し、大学卒業後、グラフィックデザインの専門学校へ進学。デザイン事務所へ就活をしながら某スープ専門チェーン店でアルバイトをしているうちに、デザインよりも食に関わる仕事が面白くなり正社員として入社。2店舗で店長を経験後、料理人を目指しレストランやカフェのキッチンスタッフとして勤務するも、椎間板ヘルニアに苦しみ戦線離脱。レストランでは週6日12時間労働の激務にも関わらず、丁寧に育てられた農作物をふんだんに使った賄いのおかげで体調はむしろ良好。食事の重要性を身をもって体験する。その後はカフェやレストランを運営している企業の広報として7年半勤務。新店舗のディレクションやメニュー開発、業態開発など広報以外の業務にも携わる。2度目の産休育休後、友人の紹介でWhy Juice? を知り、安心安全な食を届けていること、有機農家を支援したいといったコンセプトに惹かれて入社。Why Juice? では、広報、イベント企画、スタッフマネージメントなどのコミュニケーション周りを担当。昔、占い師2人に最低でも90歳、おそらく120歳まで生きると言われてから、老後をどう過ごすかが悩みの種。

Ayaka Fujita 藤田 彩香

Why Juice? Store Manager

1989年茨城県ひたちなか市で教師の両親、2歳上の姉のいる家庭に生まれる。家では “このこ”と名付けたぬいぐるみといつも一緒に過ごす人形遊びが大好きな女の子。保育園はテレビ禁止、スカート禁止の野生児保育園でのびのび育ち、小学校へ上がるタイミングで父の故郷である田舎町へ。小学校の同級生は9人というド田舎の町だが、幼少期から砂利道も裸足で駆け回り、泥を食べて育った(ような)私は特に違和感なく馴染む。両親の長期休暇の際は全国津々浦々登山やキャンプへ出かけたり、都内のレストランへ通い足腰と舌を鍛える。
何かと違和感を感じながら過ごした中学時代から一変、執念と気持ちだけで受かった第一志望の女子校で高校生活を謳歌する。所属していたハンドボール部のコーチの影響でスポーツ栄養士を目指し、上京。念願だった姉との2人暮らしもスタート。必修続きで休みなく学校に通い、高校生の時より勉強に勤しみつつ、パニーニ屋さんでアルバイト。4年次には某駅伝強豪校の栄養サポートなどに関わる。
目標にしていたスポーツ栄養士の現実を知り、方向転換。卒業後はエステ業界に進出。入って3ヶ月後には同期が次々といなくなり、声が小さいと怒られながら、我武者羅に過ごす毎日。3年後には店長に昇格。1年後に管理栄養士の資格取得に成功し心機一転、転職を決意。SNSでWhy Juice? を知り、食・農・健康などのブランドコンセプトや佇まいに共感し、門を叩く。アルバイトとしてのらりくらりと3年ほど関わりつつ、正社員へ。アルバイトの間はパーソナルジムの食事指導やヘルスケア企業での商品開発、オーガニックスグローサリーストアへ勤務するなど様々な仕事に関わる。Why Juice? ではWhy_? 下北沢の店長をしつつレシピ開発やデザインディレクションを担当。好きな野菜はトマトときゅうり、果物は桃とプラム。リフレッシュ方法はエンターテインメントと自然と食。毎日の晩酌は外せない。

Yoshihide Yamazaki 山﨑 祐秀

Why Juice? Store Manager

神奈川県相模原市生まれ。地元出身の父と沖縄県出身の母の元に生まれる。山や川に囲まれた生活環境、父が趣味で畑仕事や釣りをしていたこともあり、幼少期より自然の中で遊んできた。小学4年生の時、事務の先生の影響でバスケットボールに出会う。NBAでのマイケルジョーダンの活躍、スラムダンクの連載スタートも重なり一気にハマっていく。中学校ではチーム1の小柄ながらキャプテンとしてプレイ。高校もバスケ部顧問の先生で学校を選んだ。高校卒業後は、社会人バスケのリーグへ自分たちでチームを作り参戦。社会人になっても数年続けることとなる。丈夫な体とメンタルは、バスケによって育まれた。
大学は麻布大学の環境政策学科へ進学。自然に囲まれて育ったということもあり環境問題に関心を抱く。法律・経済・化学・文学と多方面から環境問題を捉えることにより、多くの学びと知識不足の挫折を味わう。大学卒業後は、内定をもらっていた営業職へ進む…予定だったが、定年まで働く前に今しかできないことがあるのではないかと思い、1年間ドイツへ旅立つ。なぜか英語圏以外に行きたかった。ビールが美味しそうなのも理由だったのだが。ドイツ語もできるわけはなく、フランクフルトの語学学校に通いながら様々な国の人たちとビールを飲む日々。3ヶ月が過ぎた時、ふと思い立ってミュンヘンに引っ越す。アルプス山脈をはじめとする魅力的な大自然が近いこともあり、ミュンヘンを拠点にアルバイトをしながら旅行する日々を送る。近所の美術館前のストリートコートでバスケをしながら徐々にコミュニティを広げていき、ドイツでも自分たちでチームを作ることになる。
帰国後は、アウトドアフィールドへ出る人の手伝いがしたくスポーツショップで働き始める。10年間働いた末、いいものを大切に使ってもらいたいという思いと、たくさんの商品を売らなければ予算達成できないジレンマに陥り転職を考える。そんななか Why Juice? 葉山店で妻がバイトを始めたことでノングリッドを知る。会社としてのこだわり、フードロスへの取り組みなどに惹かれ入社。現在はWhy Juice? の店舗・オンラインショップの運営、営業と幅広く担当。

Kazue Ogawa 小川 和恵

Office Administrator

東京都出身。タイヤメーカーで海外工場立ち上げのため日本と海外を行き来する父と職場結婚後専業主婦の母、妹と共に幼少時西多摩地域へ転居、ピアノと習字を習いつつ山の中で田畑と虫に囲まれてのびのびと育つ。読書好きで毎年学級委員をつとめる一方、夏は連日プール、冬はスケートをするアクティブな子ども時代。中高大は器械体操部、創作ダンス部、競技ダンス部、サルサと、ダンス漬けの日々を過ごす。カトリック女子高、女子大を経て大手損保の公務部門にて営業事務を担当、長女出産を機に退職。
長男、次女出産後、夫の転勤に伴い家族でスペインに3年在住、一度も帰国せず大変なことも多々ありつつ、スペイン国内はじめEU各国を家族で旅行したりフラメンコやスペイン料理を習い楽しい日々を過ごす。旅行中長男が迷子になりかけたり、ピレネー山脈の湖に次女が落ちたり、スペイン最西端の地(当時の自宅から700㎞)で車が壊れたり、空港行きのバスが渋滞に巻き込まれ乗客全員で空港カウンターにダッシュしたり、格安航空で着陸時に拍手が巻き起こったりと、滞在中の面白エピソードには事欠かない。現地にて着物ショーの選曲と振り付けを担当し自ら出演したことも。次女の幼稚園でスペイン語しか通じず発奮して現地の語学学校に通いママ友と雑談ができるように。雑談であっても「あなたはどう思うか」を常に聞かれ他人と違う自分自身の意見を話す必要があり、毎日自己主張のスキルを磨き、ハグとキスを大量に浴びて育つ現地の子どもたちを見て、日本の子どもたちと比べて自己肯定感に差が出るはずだと実感する。
帰国後友人が創業した社団法人と株式会社の総務経理事務全般を担当、2019年よりノングリッドのバックオフィス全般を担当。感度の高い社員スタッフのセンスの良い仕事ぶりを楽しく見ながら会社全般をサポート中。
延々と続く子どもたちの受験が終わったらまたヨーロッパを訪れたい。中央省庁勤務の夫と中学1年生から高校3年生まで1男2女の5人家族。